夫の転勤に伴い、大阪に来たのが2年半前。いちばん最初に興味を惹かれたのは「大阪南港」だ。海遊館やIKEAなど郊外型の商業施設がある。港の倉庫街は、無機質でもあり退廃的でもありどこか開放的でもある。そのような独特な雰囲気が近年、若い人にも人気があるようだ。しかし、わたしにとっての大阪南港は、刑法の因果関係や共謀共同正犯の議論に難問を投げかけた大阪南港事件が発生した場所であり、答案練習会の答案用紙に何度もその判例名を引用してきた場所だ。

大阪文学学校で小説の勉強をしている。2年目の今年は、葉山郁夫先生のクラスに在籍しているが、文学的教養のなさを痛感している。文学史を前提とした先生の言葉の裏に流れる水脈に到達するためには膨大な文章に触れる必要がある。法学部出身のわたしが「大阪南港」で有名な判例を連想したように、文学部出身の人は言葉ひとつに前提となる文学作品の連想するようである。キャッチアップには何年もかかりそうだ。合評では、クラスのお一人お一人が、拙作に真剣に向き合ってくださる。批評が真に迫り、自分の筆致の甘さを突き付けられる。文章は、どのように上手に編んだつもりでも、書いた人間の正体を容赦なく暴いてしまうものだ。筆致の甘さは、文学的教養の不足ではなく、社会性差に負けて主婦をしているせいだと自覚もしている。わたしも毎回、クラスメイトの作品の批評をする。絶賛はたやすい。しかし、苦言を呈するのは難しい。作者にとって書く必然性をもってこの世に生まれた作品である。批評によって作者の受けるであろう痛みを感じながら、真剣に向き合う。

縁もゆかりもなかった大阪が我が街に変わった頃、縁もゆかりもない関節リウマチという病気にかかった。冬にしもやけかと思っていた指先の違和感が、春先に痛みに変わった。朝起きると、痛みでまっすぐに指先が伸ばせない。指先の痛みで持っていた皿を落とす。ペットボトルを開封できない。ゴミ袋を結べない。服の着脱すらままならない。そんな症状が突然、降ってわいた。投薬治療をはじめたが治療薬には、副作用もあるらしく、吐き気やだるさで思うようにならない日もある。痛み止めが処方され先述のような痛みはある程度コントロールすることができるようになった。リウマチは初期の治療が大切なのだそうで、症状は落ち着いてきたようにもみえたり、場所を変えて関節痛が広がっているようにもみえたりする。しかし、痛みは常に自分の命の有限を知らせるアラートのようでもある。

転勤族であるため、また縁もゆかりもない土地に転居することになるだろう。
期間限定で土地に住むこと。関節リウマチという難治性の疾病。
これらが両輪となって、今、人生に急かされている。

(写真は大阪南港)

葉山郁夫先生の「小説論」(大阪芸術大学のテキスト)