最近、山田宗樹さんの長編小説「嫌われ松子の一生」を読み返した。

松子は市役所勤めの父親から勧められて学校の先生になる。
しかし、事件を起こして学校にいられなくなり、家を飛び出す。
レジ打ち、風俗嬢、美容師――松子は頭がよく努力家で仕事に就けば頭角を現すが、男が原因で仕事を辞めたり、犯罪を犯したり。モーパッサンの『女の一生』のジャンヌよりもずっと不幸だ。どうしても人生が悪い方へ転がってしまう。松子の心理描写が秀逸だ。著者が男性ということが恐ろしくなった。男性はこのように女性の心理を観察し理解できるものなのだろうか。

田舎で公務員の家に育ち、生涯続けられる仕事をと法律の勉強をしていた自分の姿と重なった。松子とおなじように父親に認められたい、褒めてもらいたい欲求がずっと渦巻いていた。

いつもがけっぷちだったし、どこにいっても落とし穴があったし、足元をすくわれる出来事があった。松子の生きたはずの時代から何十年もあとに生まれたが、自分の半生と振り返って共感できる部分も多かった。でも、男か仕事かと問われたら、仕事を選んだ。周囲が司法試験に合格したり社会にでて活躍している20代半ばに、何も得られていない自分に対する強い焦りと羞恥心があった。強い武器や自分を大きく見える鎧が欲しくてたまらなかった。そこは松子と違ったのだろう。

わたしは、司法試験が新司法試験に移行するタイミングで司法試験から「足を洗い」、20代半ばで180度違う美容業界に飛び込んだ。美容業界は女性が力を発揮できる業界だと感じたからだ。

エステサロンでお金の管理、営業、スタッフの育成、広告、在庫管理を行ったが、どれもこれも経験不足で満足にできなかった。売り上げが思うように上がらないことに伴うごたごたがあり、サロンの経営権を手放し、別会社の雇われ店長になって奮闘したがやはり経営は苦しく店舗を閉めざるをえなかった。

美容業界への未練もあったが、ローンを返済するために働いた。平日はプリンターをつくっている企業で派遣社員として働き、土日は家電量販店でプリンターを売ってローンを完済した。(プリンターは面白いように売れ、量販店の店長からスカウトされた)エステサロンで一番面白かった広告を作る仕事(Web制作)に携わるようになったのはこのころだ。化粧品の会社を作りたい―ーそう思って女性起業家支援プロジェクト(女性限定のビジネスプラン・コンテスト)に応募した。

1次審査通過の知らせが届いたのは、結婚式直前だった。
2次審査の書類は出さずにハネムーンへ。ちなみにハネムーンはアンコールワット。新聞のインタビュー知った日本人女性起業家『マダムサチコ』がカンボジアでつくったアンコールクッキー の店に伺いたかったのだ。帰りに滞在したバンコクでハーブボールに出会い、いつか自分でも作ることができたらと大切に持ち帰った。帰国後、先述のビジネスプランコンテストで出会った新聞記者から取材の申し込みがあったが、断った。長男を妊娠したことがわかり夫からは「今のキミがやるべき大切な仕事があるのだから」と諭されており、ビジネスプランコンテストは棄権することに決めていたからだ。

エステ店舗運営で簿記の基本的な理解が必須と感じ、長男妊娠中に会計事務所の手伝いをし、簿記3級→簿記2級を取得。その後、夫の転勤に伴い5回転居し、育児の片手間の仕事で細々とお金を貯めた。

かねてからお茶の美容効果に注目しており、静岡県茶業会議所ティーリポーターに委嘱された当初から、いつかお茶をつかった化粧品を作りたいと思っていた。

新聞記事

静岡新聞

 

しかし、自分の中ではいつまでも「いつか」だった。また失敗するのではと思うと怖かったし、失敗したら家族にも迷惑がかかる。

お茶をつかったスパ商品を開発する話に「面白いんじゃない、やってみれば」といったのは夫だった。結婚して10数年、子どもたちの手が離れてきたこともある。女性が働くことを取り巻く環境が変わり、夫の認識にも変化があったのだろう。

2年前にリウマチをり患し、人生の終わりを意識するようになった。
リウマチ患者は平均より寿命が10年くらい短いそうだ。
残りの人生を見積もって、あと20数年くらいだろうか。
元気に頑張れて、あと10年くらいか。
就職氷河期に社会に放り出されたせいか、流されてきた自分のせいか、ずっと行き止まり、がけっぷち、足踏み、回り道ばかりだった。この先もまったく先は見えないが、身の丈をわきまえつつ、三方よしの事業を構築したい。

書くことはもちろん、続けていく。
どうしても書きたい物語があり、それを形にできるまでは死ねないと思っている。

蛇足だが、山田宗樹さんの作品でだれかとじっくり話してみたいのは『百年法』だ。

(写真は、2008年9月、カンボジアのアンコールクッキー店舗の前で)