前橋の冬は、からっ風とともにやってくるらしい。別名、赤城おろし。故郷の岐阜には伊吹おろし、静岡には遠州のからっ風があった。関西の六甲おろしも少し知っている。赤城おろしは、体験したそれらとは比べ物にならないほど強い風だ。突風が過ぎるまで身を縮め、なんとかやり過ごす。

金沢、東京、静岡、大阪、そして前橋。結婚して5回目の引っ越しをした。
――どこへ行けばいい?
――これから何をして過ごせばいい?
――そもそもどうしてここにいるの?
越してすぐは、いつもそんな思いに囚われる。口にしてしまうと夫を責めているように聞こえてしまうようなので、口にしないことにした。が、子どもにも変化があった。転校先での授業がはじまると、次第に元気がなくしていったのだ。登校時間にきまってお腹が痛くなったり。お友達と上手くいかなかったり。それも3か月をすぎたあたりから少しずつ、笑顔が戻りつつある。

前橋はレンガ造りの古い倉庫や、レトロな八百屋やキャバレーが残っていて、探索心をくすぐられる街だ。地元の人はどっしりと地に足の着いたしっかりした人が多い。最寄りの図書館も近く、地元の老舗書店も紀伊国屋書店も徒歩圏内。赤城山や榛名山、自室の窓から見える稜線は故郷の岐阜を思い出し、飽きず眺めている。わたし自身が育った岐阜の実家の周辺には、市立図書館の本館はおろか、分館もなく、公民館の図書館しかなかった。信田さよ子さんのご実家の本屋があったが、それも高校生になったころにはなくなり、今日現在まで新しい本屋はできていない。引っ越し前に「前橋は田舎だ」と散々聞いた。たしかに、首都圏に近い分、若い人の流失も多いだろうが、それでも文化的なインフラは十分すぎるほど整っている。オンライン講義や取材、原稿、週末には子どもの少年野球の応援。皆さんが送ってくださった本や原稿や冊子。穏やかな生活と変わりなく付き合ってくださる皆様に感謝したい。

日本茶インストラクター協会の会報『茶論』の特集「#わたしのお茶愛」に寄稿させていただいた。大先輩の目に触れるものであり、背筋の伸びる思い。真摯に活動を続けていきたい。


『はてしないお茶物語』は、静岡の茶園のファミリーヒストリーに魅せられたことに端を発する。茶園が未来永劫続いていってほしいという願いを込め、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』からお借りした。

大阪を離れる直前に、京都の東福寺の和尚から次のようなお話を聞いた。

この世のすべてのものは、実体がないことを悟っているかどうか。今、目に見えているものは、すべて過去に誰かが生み出したものです。未来永劫、存在するかといえば、そうではありません。肉体は死ぬし、物質も朽ちていきます。すべてのものはそのままであることはありえません。

和尚のおっしゃる通り、すべてのものがそのままであることはありえない。産業は変革しながら成長していく。人の心は変化する。環境も変化をし続ける。あり続けるためには、あり続けるための努力が必要だ。

また、ある方から、『はてしないお茶物語』にたいして、こんなコメントをいただいた。

転校、転勤で、強制的にリセットを強いられた人生を歩んできて、「なんで私だけがこんな目に」と思ったこともあるでしょう。本当は変化が苦手なのに、強制リセットになり努力する人生。だからこそ「永続」に憧れを抱く部分はあるんでしょうね。

そうだ。わたし自身が、永遠につづくものに憧れている。岐阜市山間部の富有柿畑で農作業をする祖父をみて育った。祖父の作る甘くて大きくて美味しい柿が大好きだった。死の床で、祖父はもう起き上がることも話すこともできなくなっていたが、筆談で「柿の木が見たい」と訴えた。家族に担がれて眺めた柿の木は、祖父の目にどんな風に映ったのだろう。そんな風に祖父が人生の結晶のように作った柿は誰も受け継ぐことはできなかった。20代後半でエステ起業するも、メインで販売する予定だった美容機器は時代遅れになっていた。どのように茶園が引き継がれ、次の世代へバトンを渡してきたのか。変化していく世の中に抗いながら、どのように不遇の時代を耐え、文化として残ってきたのか。「続く」をキーワードに取材を重ねていきたい。

noteで一年前から連載している『今日も静岡茶屋でお待ちしています』は、実際のお茶農家さんや茶商さんの取材をもとにしたフィクションだ。あえてフィクションで伝えることを自問自答しつつ、茶業界で奮闘する人々のライフヒストリーや言葉を伝え、登場人物とともに「はてしない茶園」がありうるのかどうか、ありうるとしたらどんな茶園か、考えたい。