喪中のため年頭のご挨拶は控えさせていただきました。ご丁寧なお年始状を頂いた方にはご連絡が行き届かず、大変失礼いたしました。

年末年始は義母が一人で暮らす夫の実家で過ごしました。
昨年2月に義父が他界して初めてのお正月はとても静かでした。食卓の、義父の席にその人がいない。誰も口にはしなかったけど、みんなでさみしさを共有していたのだと思います。座る人を失った席を目の前にして、ようやくかさぶたになったかなしみがまた腹の底から湧いてきました。

かなしみが心を覆い、どうしても抜け出せない日が続きました。このかなしみはなんだろうとたくさん考えました。義父は至らない嫁に苦言を呈することなく、娘として迎え入れてくださり、ただ娘でいさせてくれた人でした。実の父がとても厳しく、現在に至るまで上手く甘えられなかったことも影響しているかもしれません。義父と顔を合わせるのはほとんど盆と正月だけでした。それでもそこに存在してくださるだけでわたしは支えられていた。そのことを喪失してはじめて知りました。

しかし、支え甘やかしてくださった大切な人の喪失は同時に、自分の実力のなさ、いい加減さ、愚痴の多さ、軽率さ、など傲慢だった自分、不甲斐ない自分、矛盾だらけの自分を嫌というほど気がつかせてくれるきっかけにもなりました。自分の未熟さゆえに迷惑をかけたことや傷つけてしまったこと……。謝りたい、謝らなくてはいけない方のお顔もたくさん思い浮かびました。

過去にさかのぼることはできませんが、繰り返し、自らを省みることを課そうとおもいます。かなしみをすぐに生きる力にできるほど、たくましくはなれません。それでも誰かのかなしみに寄り添い、願わくばそのかなしみを言葉に変えることができたら。人生のささやかな希望としてこれをたよりになんとか進んでいけたらと思います。

今年も変わらぬお付き合いのほど、どうぞよろしくお願いいたします