(随分前に書いた作品です)

『虹色の和菓子』

能登半島の寂しい漁村の三男坊として生まれた良助は、尋常小学校を卒業した春、12歳で金沢の老舗和菓子店「松川」に丁稚奉公に出された。

金沢に数ある和菓子店の中でも江戸時代から続く「松川」は前田藩御用達の名門和菓子店である。松川は古くからの製法を守り、材料を吟味し、質の高い和菓子を作り続けていた。

松川の作業場は朝まだ暗いうちから動き出す。米俵ほどの小豆やもち米を持ち上げるといった重労働に加え、大鍋の中の餡を練り続ける餡練りの作業は真冬でも汗が噴出しつづけ、大人でも悲鳴を上げる苦行である。負けん気が強い三男坊の良助でも何度逃げ出そうかと思ったか知れない厳しい仕事だった。けれども、餅をつく杵の音、餡の炊き上がる甘い香り、当代一流の職人の生み出す美しい茶席の菓子の数々。そういったものが良助の心をいつも幸福にした。

松川に来て三年が過ぎ良助は十五歳になった春、餡練りや配達の仕事から、ようやく計量など下準備を任されるようになった。

しかし、新しい慣れてきた頃に気のゆるみか、和菓子の配合を間違えて計量してしまい、大切な砂糖を無駄にしてしまった。

職人頭の梅吉の怒号が飛んだ。

「だらっあ。旦那さんがどんな思いで手に入れなさったか、わかっとるんかいや」

良助の頬に激しい痛みが走り、細い体が作業台の脚までふっとんだ。

「すんません、ほんとにすんません」

良助は床に土下座して謝った。和菓子屋の丁稚奉公にすぎない良助にだって砂糖がどんなに高級品で貴重なものかは充分すぎるほどわかっていた。

「もう、おめには計量はさせねさけ。イチからやり直ししとろ」

「すんません」

材料がなくなってしまったために作るべきものも作れず、作業場はその日一日凍りついたように静まり返っていた。重苦しい空気の中、良助は自分の不甲斐なさに押しつぶされそうだった。翌日店は休みだったから、良助は居室にこもり、昼近くまで床にいて布団をかぶっていた。松川の店の敷地内に立つ離れの寮にいては職人連中や女中と顔を合わせなくてはならず、気まずい。とりあえずどこかへ出掛けようと、寮を出た。気晴らしといっても小銭しか持ち合わせぬ丁稚の良助に他に行く処も思いつかなかったのだが、何より今は紫陽花が咲いているだろう、と思いつき兼六園へ向かったのである。

出る時に降っていた小雨も兼六園に着く頃には止んでいた。

 

梅雨の兼六園は今まさに伸び盛りの新緑が青々と輝いていた。

良助は園の隅に色とりどりの紫陽花を見つけた。ほとんど白といっていい色、空色、紫色。

「きれいやなぁ。こんな色を菓子で出せんがかなぁ」

思わずため息が出た。

松川の店頭に並ぶ和菓子「紫陽花」は梅吉が得意とする和菓子で、淡い本物の紫陽花から彩色したかのような色合いが素晴らしく、客だけでなく同業者からも評判が高かった。

梅吉は自然の植物の色彩を和菓子に写し取る技術に長けており、三十を前にして梅吉は金沢で一、二を争う腕利きの職人だった。そして、良助や他の職人たちに暇さえあれば植物や焼き物を見て目を肥やすよう、口癖のように言っていた。紫陽花を前にして、梅さんのような腕のいい職人になれたらな、と憧れで胸が焼けた。

不意に視野が塞がれた。両目を後ろから両手で誰が柔らかく覆っている。

「だ~れ~や」

聞きなれた声にすぐにその人と分かった。

良助は覆われた手をゆっくりと外しながら後ろを振り返った。松川の一人娘、栄子だった。同じ年の良助と栄子は良助が松川に来た時分には暇さえあれば兄弟のように一緒に遊んだ。栄子が女学校へ上がってからは遊ぶこともなくなったが、会えば気楽な言葉を交わす仲だった。

「怖い顔してどうしたん?」

「なぁん、紫陽花をみたら、梅さんが作った紫陽花の菓子を思い出してんて」

「梅さんはまるで手品師やがいね。器用に何でも作ってしまわんけ」

「ほうや」良助は梅吉のことを褒められると無性に嬉しくなった。

「梅さんは良助さんに厳しいくないけ。ほうやけど、裏では梅さんは良助さんのこと、いっつも褒めちょるってとーとがいっておいでたじ。叱っても叱ってもめげんし、菓子が大好きな菓子だらがやて」

褒められているのか貶されているのかよく分からず、良助は赤くなって寡黙したとき、栄子が歓声を上げた。

「良助さん、見て。虹や」

栄子が指差した先を見ると、梅雨の晴れ間にくっきりと虹が出ていた。

「ほんとや、きれいやなぁ」

「良助さん、いつかあんな虹のような菓子を作ってくれんけ」

「あんなきれいな色、どうやったら出せるやろ」

「もっと修行しとろ」

栄子はいたずらっぽく笑った。

「おいや」良助は真顔で頷いた。

「ところで、お嬢さんこれからどっかおいでるんですか。今日は店も休みで配達もないはずやけど」

「なぁん、朝、良助さんが出掛けるのを見かけて松川から出て行ってしまうんじゃなかろうかとおもってんて」今度は栄子が真顔でいった。

「そんで、わしのあとをつけておいでたんですか」

良助は思わず苦笑いしたが、栄子は真顔のまま、いつになく強く迫った。

「良助さん、約束してや。虹の菓子、必ず作るがやぞ」

「おいね」

良助の胸に炎が灯った。それは小さくて静かな、けれども熱い炎だった。

虹の一件以来、良助は目に見えて意欲的に仕事をした。「虹の菓子」を作るためにはまずは腕を磨かなくてはならない。松川にいる職人は皆腕のいい職人だった。その気さえあればどれだけでも上手くなれる環境にあることに、良助は今更ながら気がついた。どうしたらこの菓子の形がより美しく作ることができるのか、この色合いはどうやって着色しているのか。

仕事の合間に職人の仕事を盗み見、手が空いていると思えば質問攻めにするので、梅吉をはじめ他の職人はしょうがないな、と忙しい作業の合間を縫って和菓子作りを手ほどきしてくれた。良助は和菓子職人としての階段を着実に登り始めた。

良助の気持ちの高まりとは裏腹に菓子業界は受難の時を迎えようとしていた。昭和十四年は戦争が本格化し、砂糖の公定価格が発表された。砂糖が極端に手に入りにくくなった。砂糖なくて菓子は作られない。どこの菓子屋でも主人のため息が聞かれた。材料を吟味して和菓子を作ってきた松川にとって苦しい決断が続いた。主人と梅吉は度々話し合い、味を守ることを優先した。和三盆がなければ落雁は作らない、と、材料が手に入らないものは作らないことにしたのだ。売るものがなければ老舗といえども苦しい。何より高騰する材料が買えない。入らない材料を見て、苦しいことが見習い職人の良助にも伝わってきた。

そんな時、軍用菓子で軍から重用され、急成長している「加賀製菓」の御曹司と栄子との縁談話が持ち上がった。降って沸いたような縁談話に従業員たちは驚き、作業場でも店先でも噂しあった。

「嫁入りちゅうても、まだお嬢さんは十五やがいね」

「旦那さんはお嬢さんのこと、大事にしておられたさけなぁ。昔から懇意にしとった老舗の菓子店ならまだしも、加賀製菓とはなぁ。旦那さんもずいぶん思い切りんさったがや」

皆が興奮気味に噂しあっている側で良助はひとり胸を切り刻まれるような痛みを感じていた。

にわかに婚礼の準備で忙しくなった松川に全国菓子品評会が行われるという新しいニュースが舞い込んだ。今回の品評会は陸軍が協賛するとのことで、金賞をとれば献上菓子として材料も提供されたり等様々な厚遇を受けられるとのことであった。苦しい経営を強いられている松川が金賞をとれば、先行きが明るいことは間違いなかった。良助の胸に金賞をとれば、加賀製菓との政略結婚も白紙になるかもしれない、という希望の光がさした。良助は燃える心で梅吉に頼み込んだ。

「梅さん、今度の品評会わしにやらせてくれんがけ」

梅吉は悩んだ。まだ十五の良助には早いか。しかし、他の職人は二十歳を超えており、いつ赤紙が来るかもしれない身なのだ。今後の松川を背負っていくのは若い良助しかいない。

「わからんことあったら、なんでも聞くがやぞ。材料もないなりに探してやるから言うがやぞ」

「あんやとございます」

その日から良助は仕事のあと、残った材料を使わせてもらい、品評会のための試作を繰り返した。作りたい和菓子は決まっていた。栄子と見た虹のような七色の和菓子。

試行錯誤するが、思ったような菓子が中々出来上がらないまま時間だけが過ぎていった。どうしても七色の虹の形を出すことが難しい。小さな和菓子の中に七色を表現しようということも無理だが、七色の色粉をすべて手に入れることが無理だった。特に紫の色粉は希少価値があり、とても手に入りそうになかった。野菜の汁を色々試すが、やはりこれと言った色が出せない。

いよいよ明日が品評会という日になって、金時草(きんじそう)という金沢で栽培される独特の野菜にたどり着いた。茹でてすり潰してみると美しい紫色が出来た。

「これや」

良助は歓喜した。そばで見守っていた梅吉も黙って頷いた。

良助は虹色の和菓子を大切に胸に抱き、意気揚々と品評会の会場へ急いだ。

 

いよいよ審判のときが来た。

 

金賞を受賞したのは同じ金沢の老舗「金風堂」の「爆弾」と名づけられた真っ黒な羊羹だった。日持ちがすると言う点、安い材料で作ることができるという点、戦地の兵隊が勇気付けられるという点が大変評価されたとのことだった。反面、良助の作った虹の和菓子は華美すぎると酷評された。

がっくりと肩を落とす良助に梅吉は「おめの菓子は平和な時代なら一番やったじぃ。次の機会が必ずくるがいや」といって慰めた。良助にとっては栄子というかけがえのないものを失ってしまったのだと悔し涙が止まらなかった。

世の中はますます不穏な空気で覆われていった。昨年の砂糖の公定価格制の導入に続いて、菓子の公定価格制が導入され、品評会も打ち切りとなった。

栄子の結婚式準備は着々と進み、女将が「こげな時代だが一人娘のために」と女将が用意した花嫁のれんがひっそりと店の奥に飾られた頃、突然縁談話が頓挫した。加賀製菓の御曹司が戦死したのだ。松川の梅吉も兄職人も招集されていき、松川は休業状態となったため、良助は能登の実家へ戻り軍需工場で働くこととなった。

昭和十八年春には十九になったばかりの良助にもとうとう招集通知が届いた。

出征の朝、金沢駅で良助は大勢の見送りの人垣の中に栄子を見つけた。凛とした表情で栄子は黙って良助を見詰めていた。悲しんでいるようにも微笑んでいるようにも見えた。松川で別れたときにはまだ少女だと思っていたのに、今が盛りと咲き誇る美しい大人の女性だった。

汽車がゆっくり動き出す。いつもは暖簾越しに隠し見るだけだった栄子をまっすぐに見た。栄子も良助の視線をしっかりと受け止た。この姿を見られるのはもうないかもしれない。瞬きするのも惜しく、栄子の姿を目に焼き付けようとした。良助の思いとは裏腹に汽車は速度を上げ、栄子も金沢の街も遠く過ぎていった。

昭和二十年秋のある日、松川の暖簾の前に立つ男がいた。

破れて汚れた軍服に泥だらけの靴を着ていた。

「ごめんください」

「ごめんなさい、あいにく今やっとりません。お売りできるものはなぁんもありません」

奥のほうから女の声がした。小さな声だったが、声の主はすぐに分かった。

「お嬢さん」

そう呼びかけられて声の主はあわてて玄関先まで出てきて軍服の男の顔を見た。

顔は真っ黒で目は落ち窪み、頬はこけていたが、良助その人だった。

「よくぞご無事で」

「お嬢さんも、無事で何よりです。皆さんは」

少しの沈黙の後、栄子は苦しそうに小さな声でいった。

「金沢は空襲がほとんどなかったさけ、母も父も金沢においでた人は皆無事ねんて。けど、戦地へおいでた人は・・・梅吉さんも南方で亡くなったがやて。ほかの職人さんもいまだ音沙汰がないねんて」

栄子の肩が嗚咽を堪えようとして小刻みに震えた。

「梅さんが、け」良助は衝撃のあまりにわかに信じられなかった。

金沢に帰ったら、戦争が終わったら、松川で梅吉にいやというほど和菓子を教えてもらえる、との一念があって今日まで生きてこられたのだった。金沢の和菓子界にこの人ありと言われた梅吉が。

「大切な人がのうなってしまったがや。・・・店の方はまだやっとられんのけ」

「職人さんもだぁれもおらんし、砂糖や小豆なんて手に入らんし。父は金城亭へ働きに行っっとるがや」と栄子は辛そうに米軍が使う料亭の名を上げた。

「旦那さんがおいでる時間にまた出直しますさけ。私は片腕がのうなりましたが、片手でも茶巾を握れっし、三角棒も使えます。職人でのうてもええ。松川で働かせてくんさい」

良助の言葉を聞いて初めて、栄子は良助の右腕がないことを知った。片腕がなくなっても和菓子職人として一人前になるという炎を燃やし続け、戦地でも日本へ戻る長い船旅でも暇さえあれば泥団子で和菓子作りの練習してきたのだった。

昭和二十七年、戦後初めて開催された全国菓子品評会で金賞をとった和菓子は「希望~HOPE~」と題された七色の虹の和菓子であった。製作者は金沢の職人で松川良助。審査員評は「伝統を大切にしつつ見事な七色の虹を和菓子の中に写し取った本作品は焼け野原となった日本の希望の光となるべき、素晴らしい和菓子である」とあった。

(了)