お産が終わりました

はてしないお茶物語というサイトを公開して、今まで直接交流のなかった方から「面白かったです」「取材してください」「一緒に茶旅しましょう」などメッセージを頂いたり、シェアしていただけたりと、想像以上に反響をいただけました。嬉しい以上にほっとしています。とはいえ、子どもで言えば、やっとお産が終わったところ。これからちゃんと育てていかなくてはいけません。

面白ければOKか?

いただいた感想の中で、私が危機感を抱いたのは、「面白ければOK、と思ってコンテンツを作っているのでは」とみられやすいということです。面白ければOKか?と問われれば、もちろん面白ければOKではありません。それでも、この情報の洪水のなかでどうやったら自分の出した情報を受け取ってもらえるか、についてはすごく真剣に考えなければならないと思っています。発言力のある人や巨大メディア、絵になる人、キャッチ―な話題などはそのまま伝えても拡散力があります。でもそうではない場合にどう伝えるか、どう理解してもらうか。やはり、そうではない場合で読んでもらいたければ、エッジが必要だろうと思っており、しかし、そのさじ加減を間違えば「面白ければOKなのか」と思われがちであり、非常に難しいと思っています。

「部外者」であるということ

また、私の属性の問題もあります。サイトは静岡に限らず「日本茶」をテーマにしていきたいと思いますが、お茶業関係者でもなく、産地在住でもない「部外者」が扱うことの難しさもまた感じています。そこは真摯に取材をし、できるかぎり丁寧に正確に記事にし続けることでしか前に進めたいだろうと思っています。

WEBライター林夏子

大阪・北加賀屋の造船所跡につくられたアートスペース「MASK」での展示

まったく別の問題であるため、この文脈で書くのは不謹慎かもしませんが、ヤノベさんの「サン・チャイルド」の問題でも「当事者とそれ以外の人」では背負っているものが違いすぎ、表現は非常に難しいということを痛感しました。(詳細は以下の記事でご確認ください)

防護服を着た子供像「サン・チャイルド」は、なぜ福島で炎上したのか(林智裕)|現代ビジネスオンライン

「部外者」といえば、オーストリアの作家イェリネクだって東日本大震災と原発事故をモチーフに『光のない。』を書いています。ここにその作品をいち早く日本で公開した演出家の三浦さんによる演出ノートの一節をご紹介します。

つまりイェリネクが書くのは、物語ではなくわたしたちに起こった「出来事」についてなのだ。
残念ながら、震災があった。

(中略)

これだけは言っておくべきだと思うのだけど、私は原発に反対か賛成かをみなさんの前で言うつもりはない。中学生の時に反原発の漫画を読んで、反対だと思った。でも、その漫画の表現自体にあまり興味を持たなかったので忘れてしまっていた。あなたはこの私の忘却を責めますか?私が反原発の政治活動をやらなかったことを責められまい。原発の是非については、デモに参加したり投票で意思表示するからほっておいて欲しい。これが社会人としての普通の感覚だと私は思っている。

(中略)

リアリティという言葉はいつの間にかアクチュアリティという言葉にすり替わってしまった。私のリアリティがみんなのリアリティなんてかわいい感覚ではもう駄目で、もっと大きな文脈を背負うべきという強制的な響きをもって私には聞こえる。「君にはアクチュアリティがないなぁ」と言われたらちょっと困る。「君にはリアリティがないなぁ」と言われたら、相手をにらむことが出来るだろう。つまり対話が始まる。が、どうもそんな対話は古いので人々は敬遠する。誰だかわからない立場で、アクチュアリティを武器に個をいち早く捨てる術を持った。私は、だからアクチュアリティと戦うつもりだ。口が裂けてもこの言葉を簡単には使わないようにしたいと思う。

(中略)

イェリネクがこうしたテーマを選んだことがアクチュアリティなのではなくこの出来事に彼女が「わたしたち」の一員だと宣言したことが、アクチュアルなのである。この作家には驚く。私は重い腰を上げた。(おもしろければOKか?|五柳書院|三浦基|2018|196p

思いを伝えるのはとても難しい。それでもわたしは同じ問題を背負う「わたしたち」の一員だと思っています。しかし、それは表面的な言葉ではなく、一つ一つの行動で表明するほかないのだとも理解しています。

Open Storage 2018-思考する収蔵庫-http://www.chishimatochi.info/found/mask/

※北加賀屋に設置されている「サン・チャイルド」は福島市で問題となった作品とは別のもので、5年前からMASKで展示されているもの。