ようやく繁忙期を抜けた。身体的にも相当無理をしたし、周りにも迷惑をかけた。お叱りを受けることもあったし、黙って待っていてくださる方もあった。
緑茶の世界では、高級茶は低温で淹れるとされているが、お茶の品評会では高級茶であっても高温で淹れ、わざと粗を出して味を見るのだという。高温で淹れられても美味しいお茶が本当においしいお茶ということか。忙しくて疲れたときの仕事の精度でその人の本当の実力がわかるのも同じ原理である。自分についていえば、粗ばかりを嫌というほど知った。どうしたら熱湯を注がれても、それなりの自分でいられるか、考え続けなければならない。

ここ最近、「信仰」についてのテーマが立て続けに舞い込んだ。

1つ目は、高山右近。
地元の高槻市の歴史を調べると、まずこの人の名前があがる。高槻城を治めたキリシタン大名だが、高槻をずっと治めていたわけではなく、秀吉のバテレン追放令で信仰を捨てずに領地と財産を失い、加賀藩(金沢)で26年過ごした。徳川幕府の禁教令でも信仰を捨てず、マニラへの国外追放の翌年に亡くなった。信仰のために地位も財産も捨て、信仰に生涯をささげた人である。

2つ目は、3月に名古屋で観た「寿歌」(ほぎうた)。
核戦争後の荒野を舞台としたゲサクとキョウコ、そしてヤスオの3人芝居。
作者の北村想さん自身の解説(※1)によるとヤスオはヤソ、すなわち、「世界が滅びてからのこのこ出てくる『役立たずの神そのもの』」、ゲサクは戯作者、すなわち作者そのものなのだが、「信仰を持つことも出来ず、ただ、芸を売って廃墟をさすらう運命の芸人」。観客はそんな救いようのない世界を3人と一緒にさまようことになる。

3つ目は、音読の安藝さんの「盲目琵琶法師のマルチリヨ」(※2)。
マルチリヨ(キリシタン用語で殉教)。作品中の言葉は言葉遊びの域を超え、鋭い。読者は、信仰とは何なのか、信仰を信頼するとはどういうことか、鋭く問いを投げられる。5月3日~6日にストレンジシードで上演する。

1年前には安藝さんと観客として一緒にストレンジシードを観た。この一年で逞しく成長した弟をみるようで、とても眩しく素直に嬉しい反面、彼の音読にかける信念は日ごとに増しており、傍て見ている者として恐ろしくすらある。

今日の世界はまだ核戦争によってめちゃくちゃにはなっていないけれど、寿歌同様、荒野であることは変わりはない。弱い人間(私)は何かを心のよりどころにしなければ、何らかの信仰を信頼しなければ、生きていけない。特に宗教上の信仰は持っていないが、(安藝さんに限らず)信念をもって努力する人のことを信じているし、その人を信じている自分を信じている。その努力の先がパライソではなく、やはり荒野だったとしても、その努力そのものを見届ける人でいたい。長い人生において人がキラリ、と光る瞬間はそう多くないのだとしたら、目を凝らして観察し続ける人でいたい。(あるいは、誰かにとってのドラえもんのようになりたいのだけど、ポケットからはガラクタしか出てこず、いつものび太を困惑させる)

※写真は高槻今城塚古墳公園の埴輪と城跡公園の高山右近像。

<参考>
※1 自作解題『寿歌』|北村想のネオ・ポピュリズム

※2 安藝悟「盲目琵琶法師のマルチリヨ」

■あらすじ
マルチリヨとはポルトガル語で「殉教」を意味する。全国禁教令および伴天連追放令が発せられ、キリシタンに対する徹底した探索と苛烈極まる拷問が繰り広げられていたころ、肥前でとある盲目のキリシタン琵琶法師が捕らえられた。密告者の茂吉と、琵琶法師との対話を音読の形式で表現する。信仰とは何か、信じるとは何か。マルチチャンネルスピーカーによる試みを行います。

■ 日時:
5月3日(木)  13:00~13:30
5月4日(金)  11:30~12:00
5月5日(土)  12:00~12:30
5月6日(土)  12:00~12:30

■ 会場:駿府城公園ガーデンステージ( 静岡県静岡市葵区駿府城公園1-1)

■ 参加費:無料

詳細は静岡ストリートフェス「ストレンジシード」公式HPにてご確認ください。