2月14日に静岡市葵区の遊郭をテーマにした歴のみ会で作成した資料。

「静岡市で遊郭といえば、まず二丁町遊郭が有名です。かつて駿府城築城の折に全国各地からやってきた男衆たちが女の奪い合いで喧嘩になるのを見かねた家康が作らせたのが始まりで、かの徳川慶喜公もお通いになったというから大変由緒正しい遊郭といえます。江戸の吉原に遊郭を作る際にその大部分を吉原へ移し、2町残ったのが名前の由来といいます。)二丁町のあった駒形通5(現在の)は、昭和20年6月の静岡大空襲がひどかった部分であり、すべて焼け野原となり、現存する建物はありません。また、遊郭に果物を卸していた果物屋が現在も営業を続けられているというお話を伺い、実地検分に伺いましたが、駒形通には数軒の果物屋が現在も軒を連ねており、そのうちのどのお店なのかは確認できませんでした。

その後、進駐軍によりRAA(Recreation and Amusement Association)進駐軍の慰安施設が石田街道を少し入った辺りの中田町2丁目に設置されました。

戦後、2丁町建物は焼失し、GHQによる公娼廃止指令(1946年)が出され、遊郭は夢の跡となりました。しかし、売春防止法の施行(1958年)までの間に、半ば公認で売春が行われていた地域があります。それが、赤線です。静岡市内の赤線は、駒形通2丁目と常盤公園裏にあったようです。(奇遇にも当日は常盤公園裏のペーパームーンが会場だった)また、某座談会では、売春防止法が施行されてからも、地元の方が二丁町遊郭焼失後もおでん屋の奥でそういった客を相手にするような店があったとうかがいました。

静岡市外の外に目を向けてみると、歴史的には宿場町や漁師の町など歓楽街があるところに遊郭があったようです。焼津には現存する特殊飲食店跡があるそうですが、残念ながら訪れる機会はありませんでした。風待ち港として栄えた伊豆の下田は「伊豆の下田に長居はおよし 縞の財布が空になる」と歌われた場所です。ライターの取材で訪れた際、偶然遊郭跡に出会いました。ペリーロードという下田の観光の中心部に現存する明治末期に建てられた遊郭跡があり、現在は骨董カフェとなっています。話好きのマスターがいらっしゃいますので、ぜひ下田へ行かれた際には訪れてみてください。

個人的には遊郭探訪は普通の歴史探訪と異なり、実際にそこで暮らしていた方のご遺族や、現在その地で生活する人がいらっしゃるので、むやみやたら掘り返してよいものではないとも思います。
昔はお金に困ると、娘を身売りさせる以外に食べていく手段がなかったため、遊女は東北や北陸などの農村部から年末に売られて出てきている娘が多かったといいます。旦那がつき、見受けしてもらえるような遊女は幸せで、遊女のほとんどは病気になったり足抜けを図って折檻されたり情夫と心中したり、死んでもきちんと供養されることなく投げ込み寺へ投げ込まれ、家族のために地獄の責め苦を負わされました。

今、ある女学生は学費が払えず援助交際をしたり、シングルマザーが生活に困って風俗で働いたりする現実があるといいます。どんなに貧しくても親に売られた遊女とは違い、彼女たちには、職業の選択の自由はあるのです。

遊郭探訪を通じて遊女が私たちに教えてくれることを、現代の私たちはしっかりと考えなければいけないとわりと真面目な話で終わりたいと思います。」

当日、途中でビデオチャットで飛び入り参加させていただきましたが、昔を知る地元の方々の熱いトークが繰り広げられたとか。写真は各地の歴史ネタで演劇もされるSPACの奥野さん。またの機会にはぜひ私も皆さんと熱い議論に加わりたいです!ありがとうございました。

<参考サイトと書籍>
お散歩日記|花町太郎
赤線部
ふるさと百話第3巻|静岡新聞社
静岡の遊郭二丁町