「劣化」ということばは酷い言葉だとつくづく思う。
齢を重ねていく女性を全否定する言葉に思える。

昭和の直木賞作家で、私が能に興味を持つきっかけとなった立原正秋先生が女性の歳の重ね方について書いておられるくだりがある。

「世阿弥の『風姿花伝』から少し引用してみよう。
公案を極めたらん上手は、たとへ能は下がるとも、花は残るべし。花だに残らば、面白きところは一期あるべし。されば、真の花の残りたる為手には、いかなる若き為手なりとも、勝つことはあるまじき也。

…まことの花が残った老女なら、どれほど若い女でも、その美しさに勝てない、と私は自分の小説作法に応用しているわけである。

女が萎れてくるのは、私のみたところでは四十を過ぎる頃からである。なかには自分で意識せずにすでに三十を過ぎる頃から萎れる心の用意をしている女もいる。反対に、六十を過ぎても萎れ方を知らず、いつまでも生臭い臭いを発散させている女がいる。」(随筆集「雪舞い」の中の「萎れし花」より引用)

これは駿河の浅間神社で観阿弥が死の4日前に舞を舞う様子を枯れ木に咲く花のようだと世阿弥が絶賛している風姿花伝の一節からの引用である。私も40を前に、萎れる準備をしていきたい。